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2012/08/22

私の半生 ⑩ 能力を超えた仕事が命取り

 東京の機械店に行き、手押しかんなと自動かんな、昇降盤と穴彫り機の4台を注文したが、お金は3万円しかないと伝えた。相手は、ずいぶん考え込んでいたが、「よし、おまえさんを見込んで出すことにしよう」と言ってくれた。今これだけの機械をそろえると、300万円は下らない。
 東京から汽車で送られて来た機械は、父が牛車で運んでくれた。大変な仕事だったが、父は「おまえがこれだけの物が買えたなんて、大したものだ」と、とても喜んでくれた。
 次は動力だ。しかし、三相交流の電力線はない。仕方なく西堀の古道具店で見つけたアメリカの中古発動機でクランクシャフトを回すことにした。当時わが家は築100年になっていたが、すごく揺れた。
 材木も木材集積場で丸太を買い、製材してもらい、天然乾燥した。そのころはまだ丸太の良しあしが分からず、だまされて泣いた。
 こうして5年がたった。その間、長兄がニューギニアから復員してきたが、栄養失調で衰弱していた。仕事はできず寝てばかりいたが、しだいに元気になり父の農業を継いでくれた。
 1950(昭和25)年、見合いをした。相手は浅間温泉の豆腐店「まるゐ」の娘さん。喜美子さんといった。私より1歳下だった。とても気だてが良く、私はいっぺんに気に入った。が、相手の親は私の仕事ぶりを見に来たという。幸い気に入ってくれて結婚した。私たち夫婦に長男と長女が授かった。
 一方、弟子が3人入り、工房も手狭になってきたので、近所の土地を借りて120坪(約400平方㍍)の工房を新築した。電力も三相が入り、仕事も順調に進んだ。
 妻は子育てをしながら、住み込みの弟子達の面倒も見てくれた。昭和30年ころである。
 ところが、人間少し調子に乗ると、大きな落とし穴に落ちるものである。自分の分を忘れて能力以上のことをすれば大変な目に遭遇する。
 例えば、売れるからといって三つ重ねたんすを1ロットで100本ずつ作ると当然価格は下がり、同業者から恨まれ、現金取引がいつしか手形となり、資金繰りが苦しくなってくる。つまり自分の能力を超えた仕事が命取りになるのである。
 商売も下り坂になると、その速度は速くなり、まともな判断もできかねるものである。
                        (聞き書き・佐藤文子=俳人)